八幡山 瑞龍寺
豊臣秀吉の姉、智の方の息子であり、非業の最期を遂げた豊臣秀次を弔うために創建。
我が子をはじめ、一族みな喪い、日夜唱題修行に励む姿に同情した後陽成天皇から、京都村雲の地と寺禄千石(約1億円)を賜り、紫衣の着用と菊の御紋の使用を許された。
秀次公が居城を築いた近江八幡の八幡山に、昭和36年、京都より移築。
金で雲が描かれた襖が豪華なお部屋には、皇太子御成婚の際に参列した御礼のお雛様が置かれていました。
屋根瓦には菊の御門。
平均寿命が50前後の当時、智の方は90過ぎまで生きられたそうです。
我が子を、孫達を、実の弟により喪い、残りの人生を過ごした彼女の心中を察すると…😢
高校時代の日本史の教科書には秀次公の名前がありませんでした。
勝者の側からでない歴史も紐解いてみたいと思った旅でした。